織田幹雄と大会の歴史
織田幹雄記念国際陸上競技大会は、陸上競技選手の織田幹雄さんの功績を称えて創設された大会です。
織田さんは1928年の第9回オリンピック・アムステルダム大会に出場し、三段跳びで15m21cmという記録を出して金メダルを獲得しました。この出来事は日本人初のオリンピック金メダリストという快挙でした。その後も三段跳びで15m58cmを出して世界記録を塗り替えるなど第一線で活躍し、第10回オリンピック・ロサンゼルス大会を後に引退されました。
引退後はスポーツ記者として奔走しながらも選手への指導も積極的に行い、1964年の第18回オリンピック・東京大会の招致が決まると日本陸上競技連盟(JAAF)の強化委員長を務め、東京オリンピックの開催に寄与しました。大会中は陸上競技日本代表の総監督を務めました。
「陸上の神様」「日本陸上界の父」と呼ばれ、戦後の日本陸上界を牽引してきた偉大な人物であり、1979年に国際オリンピック委員会のオリンピック功労賞を受賞、2021年には世界陸連のヘリテージプラークのレジェンド部門に選出され表彰されました。
数々の記録・功績を残してきた織田さんは広島県出身であることから、1967年に広島で第1回・織田幹雄記念国際陸上競技大会が開催され、「織田記念」「織田陸」と呼ばれて多くの方々から親しまれています。
本大会は日本グランプリシリーズの1つであり、世界選手権大会やオリンピック開催年には代表選手の選考を行う上で重要な役割をもつ大会でもあることから、毎年多くの選手が出場し、記録と記憶に残る戦いを繰り広げています。